それは、リョウが18歳の時のことだ。ユリは、リョウよりも4歳年下である。
 このわずか二年ほど前まで、二人は絶望的な極貧生活を送っていた。天井が無いところでの食うや食わずの生活など当たり前のことだった。
 それを、リョウが幼い頃、父から叩き込まれた空手を駆使してストリートファイトで賞金を荒稼ぎし始めてから七年、ようやく一年前に、巨大なサウスタウンの一角に、小さいながらも人並みの生活を送ることができる住居を手に入れたのだった。
 生活は相変わらず苦しかったが、お互いがお互いを励ましながら、強く生きていた。

 ユリは既に物心ついたときから、生活のすべて犠牲にして自分のために闘い続けてくれる兄リョウのことを、心の底から尊敬していたが、それが愛に転化するまで、さほど時間はかからなかったようだ。
 異性を愛する、という感情を自覚したとき、すでにユリの視界に映る「男性」は、リョウしかいなかった。知り合いとしての「男性」は幾人もいたが、これらは単に生物学的な意味での「異性」に過ぎず、ユリにとって尊敬に値する、また愛するに値する「男性」は、彼以外には存在しなかったのだ。

 これは、そんな時期のユリの日常である。

Act.1-2 UNFORGIVEN
KEEF

 ユリの朝は早い。まだ日の昇らぬ五時ごろに起き出して、リョウと自分の二人ぶんの朝食を用意する。
 リョウは外で身を張り闘って生活費を稼いでくるが、そのぶん、家庭内での仕事は全てユリの担当となった。リョウに言われたからやりはじめたわけではない。ユリが自らの意思で、兄のために始めたことだった。
 狭いアパートメントとはいえ、幼いユリにとっては、決して家事は楽な仕事ではない。だが、ユリはそれを苦にした事はない。
 リョウにとって生活の全てが、ユリを食わせることと同義であったように、ユリにとっては生活の全ては、兄のサポートをすることと同義であったからである。

「それじゃ、行ってくる」

 これまでに何度繰り返したか解らない、同じ情景。リョウが、オレンジ色の空手胴着を詰め込んだザックを肩にかける。

「怪我しちゃいやだよ。無事に帰ってきてね、お願いだから」

 言って、ユリはリョウの頬に唇を押し当てる。まがりなりにも闘いに赴くのだから、それは無理な願いというものだが、リョウは優しい瞳で妹の頭を撫でた。

「俺が大怪我して帰ってきたことなんてなかったろ。大丈夫だから」

 リョウは、ユリの何かを懇願するような瞳を振り切って、出かけた。リョウにとっては、いつまでも慣れることができない感覚ではあったが、致し方ない。自分が闘わなければ、ユリが餓えるのだ。愚劣な二者択一ではあったが、リョウはそれまでの経験から、現実的な価値観を充分に備えていたのである。

 こうして午前六時半ごろにリョウが出て行くと、アパートはユリの戦場となる。リョウに気持ちよく帰宅してもらうために、ユリは毎日、できうる限りの掃除を怠らない。リョウに元気を出してもらうために、身につけることができるだけの料理のレシピを身につけ、その更なる研究を怠らない。
 兄に気持ちよく生活してもらうために。ユリにとって、家事の殆どは半ば趣味と化しつつあるが、極論すれば、それがユリの行動の全ての原則だったのだ。
 ユリは、自分が全ての意味において、一生リョウにかなわないであろうことを、精神の最も基礎となる場所で理解している。だからこそ、ユリはリョウを愛し、彼に尽くすのだ。

 こうして、午前中までに全ての掃除を完了し、一息をつくと、選択に取り掛かる。
 ある意味で、ユリにとっては、これがもっとも待ち遠しい時間だった。

 ユリは、狭い脱衣場に纏められた洗濯物を、次々と洗濯機に放り込む。
 大雑把でいいのなら、洗濯は三日に一度程度でいいのだ。それでも中古の洗濯機の小さなドラムを一杯にするほどの洗物は出ない。兄妹二人だけの慎ましやかな生活では、それで充分だった。
 だが、それではユリの気がすまないのだった。

 自分のために戦いの毎日に身を置く兄。その兄のことを思うと、ユリの小さな胸は張り裂けそうになる。
 自分の幼い知識では、兄が自身の全てをなげうって、妹のため、ただそれだけに生きているこの現実に対して、表現の方法すらわからないでいる。
「すき」とか「あいしている」とか、そんな他愛ない言葉では表現できない重さを、ユリは自分の中心に常に繋ぎとめていた。
 自分では理解しきれないほど重い責任を背負って、兄は戦い続けている。その兄の責任に対して、ユリは何も返すことができない。そのことが、一時期、幼い彼女を押しつぶしそうになったこともあった。

 その「重さ」は、長く続けば、ユリだけでなく、リョウまでも押しつぶしていただろう。リョウは妹のために戦うことしかできず、妹の心中にわだかまる「重さ」を理解はしても、それを取り除いてやることは不可能だった。
 自分が妹のために戦い続けることが、妹を苦しめているとしても、戦うのをやめてしまえば、人間の人生で綴られる劇場そのものから、退場を余儀なくされてしまう。悩むこと、苦しむことさえできなくなってしまうのだ。
 一つのことしかできない兄と、兄への感謝とその責任の間で潰れそうになっていた妹。それらに合理的に対処するには、二人は若すぎ、幼すぎたのだ。だが、その若さ、幼さに反して、彼らは一般の兄妹が経験するであろう物事の、百倍に値する労苦の経験を持っていた。

 人の判断というものは、大概の場合、過去の経験則から判断の材料を得る。だが、判断そのものは、年齢なりの「判断力」による。
 未成熟な判断力と、膨大な経験則、というアンバランスは、往々にして幸福な結果をもたらし辛い。経験則から得たデータから最高の例を導き出すには、成熟した読解力と、深い思考力が必要となるからである。
 例えば、どのような名著であっても、読むほうの読解力が低ければ、本当の価値を持つことはできない。常に内容を深く探りながら読める者と、表面だけ、都合のいいところだけをつまみ出し「読んだ気になっている」者とでは、おのずと読後に得るものがまるで異なってくる。

 そして、リョウとユリは、一時期、そのような悪しき例の仲間入りをするところだった。彼らは、精神の中心で幼さを残しながら、その周囲では人並み以上の判断材料を持っていたのだ。
 ひとつ何かを間違えれば、お互いにとって最も大切なものを失う可能性すらある、危険な「アンバランス」だった。

 だが実際、リョウもユリも、その危機を脱し、現在までお互いを最も大切なものとして生き続けている。
 二人が失敗を犯さずにすんだのは、最大の理由は「失敗を犯す余裕すらなかった」ことであるが、生来の性格が大きな要因でもあった。
 リョウは、一言で言ってしまえば、不器用な男である。そして、そのことを自分でよく理解しているという一点において、彼は他者よりも優れていた。
 彼は、妹のために戦い続けたわけではない。妹のために、戦うことしかできなかったのである。もっと効率の良いほかの手段を理解していれば、あるいは現在の状況は変わっていたかもしれない。
 だが、例えそんな手段が、美味しそうな香りを発しながら目の前に転がっていたとしても、彼は手を出さなかっただろう。素晴らしい香りを放つ花が棘を持っていることなど、よくあることだ。彼は、そのことを良く知っている。

 ユリに心配をかけない為に、リョウがそれを口にすることは無いが、リョウ自身は、サウスタウンの闇にかなり近い位置にいる。
 ストリートファイターといえば聞こえは良いが、要は呼吸する暴力発生装置であった。そして、二十歳にもならぬ若さで、その中で最強の存在になりつつあるリョウは、表裏のあらゆる方面から注目されていた。
 どの世界でも同じだった。成功し続け、勝ち続ける者に近づいてくる者全員が、純白の手袋をつけて握手を求めてくるとは限らないのだ。中には、彼を呈よく利用せんと、あからさまに腐臭を発しながら接近してくる食屍肉者スカベンジャーなどもいた。
 リョウはそういった「対人関係」において、当初は一度ならず失敗もしかけたが、致命的な失敗を犯したことは無い。また、接近してよい人間と、そうでない人間とをより分ける嗅覚や、社会の仕組み、厳しさ、裏社会の恐ろしさなどを、誰よりも早く知り、正確に身につけた。
 それは、経験したことの無い人間には、理解も感知も不可能な感覚であり、リョウの不器用で慎重な性格があってこそ、身についたものでもあった。なにより彼には、父タクマ・サカザキの失敗という、強烈なトラウマがあった。

 実は、若いうちからそういった感覚を熟成させていた、という事実においては、後に彼と対立することとなる闇の天才、ギース・ハワードのそれと重なる部分が多い。リョウは慎重に闇の勢力を回避し続けたが、ギースはむしろその内部にもぐりこみ、蚕食することで頭角を現したという、「結果」が異なるのみである。
 この事実をもし聞かされたとしたら、リョウは彼らしくないほろ苦い表情でコメントを避け、ギースは鼻で笑ってあしらうであろうが……。

 リョウが、その負の感情から逃れえたのは、慎重な性格と、唯一、自らの拳と極限流空手を信じきった信念による。
 では、ユリの場合はどうだったろうか?

 それなりの強さを身につけていたリョウと違い、ユリにはまだ、自らに頼るものがなかった。だが、リョウとは違う意味で、彼女も性格的な長所に恵まれていた。
 リョウは不器用であるがゆえに、自分のわからないことには近づかなかったが、ユリは兄よりもやや陽性で、器用だった。
 ユリは「切り捨てる」ことができたのだ。

 考えてもわからないこと、自分に不可能なこと。このようなことで、いつまでも悩み続けることが時間の無駄であることを、ユリはよく理解していた。
 悩み続けて事態が好転するのならば、いつまでも悩み続けていればよいが、そうではないのだから、そうでないことに全力を注ぐべきだろう。時間という資源は、無限ではないのだ。
 そうしてユリは、自分にできないことはすっぱりと思考から切り落とし、自分にできることにまい進した。自分でできること、すなわち兄のサポート全般である。
 ユリとリョウは、ある意味では理想的な機能の組み合わせであるかもしれない。リョウは妹には無いものを全て持っていて、 ユリは兄には無いものを全て持っていた。
 お互いがお互いを貴重なものとして、大切にしあったことも、よい方向へ働いていたであろう。言いたいことを何でも言い合う関係だけが、理想の家族像というわけではない。
 できるだけ私情を抑え、ただひたすらにお互いのためだけに生きていくことも、理想の家族像の一つであろう。少なくともこの兄妹は、それを是として実践している。他の人間には、なかなか真似のできないレベルで。


 そうして、リョウのために人生の殆どの時間を費やしていく中で、ユリは兄の人間的な魅力に惹き込まれていく。
 ―――いつの間にか。
 あえて言語で表現すれば、そういうことだろう。毎日顔を合わせ、毎日言葉を交わす中で、「いつの間にか」ユリはリョウに漠然と焦れていた。
 彼女が知覚できる範囲の世界で、自分のことをたった一人、心から心配してくれる存在。たった一人、自分のためだけに生きてくれている存在。
 少しずつ年齢を重ね、そういうことが理解できるようになって、ユリは思っていた。
 この兄のために、「世界でただ一人の存在」になりたかった。ただ一人、兄のことを心から心配している存在。そして、ただ一人、兄のためだけに存在している人間―――。

 そうして、ユリの世界の中でリョウが「オンリーワン」に昇華され、それをユリ自身が理解した瞬間、彼女は兄への真剣な愛情を自覚したのだ。
 誰にも、大切なリョウにも語ることのできない感情。しかし、他の何よりも優先して護らなければならない愛情で、それはあった。
 ユリは自らの愛情に誇りを持った。衆に優れていると信じている兄を、素直に敬慕できる自分の心に、誇りを持った。だが、同時に恐ろしくもある。いかに開放的な風土の街とはいえ、サウスタウンはアメリカの都市であり、アメリカは「普遍的な教義と意味とを持つ世界宗教」の一大国家であった。
 けっしてそれだけではないが、大抵の宗教というものは、近親間の恋愛感情を否定している。性的なつながりとなると、法的に禁止している国も珍しくはない。特にアメリカの保守的な一部は、その方面に関して常にヒステリックな反応を示す。
 だから、ユリは隠さなければならなかった。自分の愛情を、少なくとも外面の上では「敬愛」のレベルで抑えておかねばならなかった。決して「恋愛感情」であると悟られるわけにはいかなかった。

 友人の多いユリが、「ブラザーコンプレックス」と友人からからかわれることがしばしばあったが、これは冗談ですむ範囲の話だったし、ユリ自身もその冗談を否定しようとしなかった。
 だが、決してそれ以上に話を大きくしなかったし、させなかった。それだけは、細心の注意を払った。

 そうすることで、外に出ることを許されず、ユリの内部に圧縮された兄リョウへの想いは、誰もいないところでは隠し切ることができなかった。それは熱い奔流と化して発露することになる。
 ユリはリョウよりも4歳年下だが、この年頃の女の子が、様々な方面に対して耳年増である事実は、どこの国でも変わらない。特に友人の多いユリは、経験はしたことはないけれども知識としては知っている、という事項は多い。
 当然、それには性的なことも含まれる。というよりも、もっとも興味が引かれるジャンルであったろう。

 そして、ユリの分担である家事仕事である。ユリは、家事仕事を朝一で殆ど済ませてから学校へ通うのが日課である。
 その最中には、ユリにとっては至福といってよい時間が含まれていた。