翌日、リョウはユリが目を覚ます前に、朝食も食べずにすでに出かけていた。お互いに顔を合わせづらいのは確かだったが、ユリとすれば複雑でもある。
 リョウは自分の想いを理解はしてくれたが、それに対しての答えは何も言っていない。
 直前まで「嫌われたら死のう」とまで思っていたのだから、兄が自分の行為を悪くは捉えていないのだと分かっただけでも最高の結果のはずなのだが、やはりどういうことでも、はっきりとした意志を確認したかった、という思いがないわけでもない。
 願望を言い出せばきりがないことは分かっていたから、ユリは物理的に迷いを振り払うように、頭を振った。そして、ベッドに身体を投げ出しながら呟いた。

「あ〜あ、お兄ちゃんとファーストキスできるんだったら、もっとロマンチックなキスがよかったな……。あれはあれで、真剣なキスだったけど……」

 思いがはじけてしてしまった昨夜のキスを思い出して、ユリは唇にそっと指を当て、軽く微笑んだ。

Act.1-5 MIND SEEKER
KEEF

 一人で朝食をとるのは久しぶりだが、それがこんなに静かなものだとは思わなかった。普段の二人での朝食でも、リョウはあまり喋るほうではないから、ユリが騒がなければ静かなものだが、それでも空気の温度がまるで違う。
 静かで軽めの食事を黙々と済ませて、洗濯にむかう。
 リョウはたまに、朝にシャワーを浴びてから外出する。そのときは、昨日の胴着と、下着もいっしょに洗うことになる。
 ユリの健気な願望がかなったのか、脱衣篭には、リョウが脱ぎ捨てた大き目のシャツとトランクスがそのまま放置されていた。昨夜の騒ぎのあとも、この習慣は変わっていない。
 リョウはユリが自分の服を使ってオナニーをしていたことについては、これ以上の詮索をするつもりはないらしい。やめさせるつもりなら、胴着を自分で洗っていくだろう。

「………………………………」

 ユリは一瞬、安心したように小さく吐息したが、なにか思い当たることがあるのか、そろりと周囲をうかがう。家の中には自分しかいないし、窓も開いていない。わざわざ玄関のドアの施錠まで確認してから、ユリは脱衣場に戻る。
 そして、毎朝の「儀式」を始めた。来ていたシャツとカットジーンズを脱ぎ、ショーツを下げる。白い肌に浮き出る黒みかがったブラウンの恥毛が、存在感を主張するようにかるくざわめいた。
 ユリは自分でも分かっていた。興奮している。毎朝のことのはずなのに、明らかにいつもより興奮していた。
 焦る自分を抑えるように、自分のコンパクトな乳房をつかみ、乱暴に二度三度と揉みしだく。呼吸が荒くなり、肌が瞬間的に紅潮した。
 そして、まるで宝物でも扱うような鄭重さで、兄のトランクスを手に取った。大きい。体格がいいからサイズが大きいのは当たり前だが、それにしても自分のショーツの一・五倍はありそうな腰周りである。
 それは、そのまま兄の頼りがいの大きさのような気がして、一度トランクスを胸に抱きしめ、何事かを呟くと、ユリは大きく頷いた。極度の興奮のためか、立っている足が大きく震えている。その足を、大量の愛液が伝って床を濡らしていた。
 抱きしめていた兄のトランクスを目前に広げ、決心した表情で、ユリはそれを自分の顔に押し当てて――。
 思い切り息を吸い込んだ。

 ほとんど一瞬だった。兄の下半身の香りが、ユリの体内に侵入する。愛する人の体臭と生活臭が、瞬間的にユリの体内で暴れた。脳が真っ白になるほどの刺激だった。
 ふわりと体重が軽くなるような幻想があって、意識が頭の先から、そして熱い快楽が自分の尿道から抜けていくような錯覚を覚えた。

(――イクっ)

 と、ユリが実感したのは、実際には大きな絶頂が通り過ぎたあとだった。放尿のような量の愛液を撒き散らしながら、力なくがくりと両膝を床につく。

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 ガクガクと震える身体を制御しようともせず、ユリは夢中で兄の下着の匂いを堪能する。右手で兄のトランクスを顔に押し当て、左手が性器に伸びた。
 ユリは膝立ちのまま、指を必死で動かした。クリトリスはまだ刺激が強すぎるから、性器を指でなぞる程度だが、それでも快感の素材が強烈だった。
 まだ処女の腰が、興奮がすぎてクネクネと前後に動く。そして、ピン、と固まるように腰を前方に大きく突き出し、ぶるぶると震えた。

「あ、あ、お、おにいちゃ。あ、は、あ、い、イク……!」

 二度目の絶頂が、ユリの理性を溶かしていく。震える、というよりも身体を痙攣させながら、さすがにへたり込んだ。

(ああ、あたし、変態だ……。お兄ちゃんと一つになりたいって、こんなに……)

 兄への憧憬が強ければ強いほど、ユリの性愛欲も増していく。
 ユリは荒い呼吸のまま、洗濯機に手を突いて体重を支えながら、震える身体を立ち上がらせた。いつもの朝なら、最高でも二度のオナニーで終わる。
 だが、今日は二度の絶頂では、まだ自分の興奮を収められそうになかった。リョウが自分の想いを受け止めてくれた嬉しさと、ファーストキスの興奮と、トランクスから香る密度の濃い兄の匂いが、限りなくユリを興奮させていた。
 愛液でずぶ濡れになっている自分の足を気にすることもなく、ユリは力なく左足を上げた。そして、今朝まで兄がはいていたそのトランクスを、自分の足に通した。トランクスをはくと、同じようにリョウのシャツに腕を通した。
 18歳のリョウと14歳のユリの身長差は、この時点では15cmほどだが、身体の逞しさは身長差よりもさらに一回り違った。ぶかぶかのシャツとパンツが、ユリをまた陶酔の世界へ連れて行った。
 洗濯機にかけた右手で体重を支えながら、左手で性器をつつき、抉り、こすり、撫でる。止めどない愛液がかきまわされて、ぬちゃぬちゃと淫猥な音を立てた。

「あ、あー、あ、イク、イ、イグ……」

 まるでリョウの内部に取り込まれたような一体感を感じつつ、ユリは立ったまま、三度目の絶頂に意識を押し流されていた。
 胸を反り「あーー……」と、溜息とも悲鳴とも取れるかすれた声を上げて、床に崩れ落ちた。


 この日、リョウも珍しい行動をとっていた。
 普段よりも三時間近くも早く家を出たリョウは、そのまま大型のバイクを走らせ、普段は滅多に足を踏み入れないダウンアンダーエリアへと来ていた。

 サウスタウンは、表向きには150万人近い人口を抱える一大商業都市だが、一歩足を裏に向ければ、そこには様々な問題を内包した無法地帯が広がっている。
 いまリョウがいるダウンアンダーエリアは、その最たる地域だ。この最先端の街に溶け込んだ貧民街。治安とか平和とかいった言葉をかなぐり捨てた犯罪の街だ。
 リョウはストリートファイターとして、片足の先を裏世界に突っ込みつつあるが、それでも自らの意志で裏世界に飛び込むつもりはなかったから、この地域を自ら訪れようとも思わない。
 それが、こうして足を踏み入れている、ということは、時にはこの殺伐としたよどんだ空気に触れていたい心境に陥ることもあるのだろう。

 リョウは、エリアのはずれにある湿っぽいレストランで、安っぽい食事を胃に流し込んでいる。それなりの代価を払えばなんでも出てくる地域だから、金さえ払えばこの早朝でも酒が出てくるだろう。リョウがそうしなかったのは、単に朝から酒を飲むという発想がないからだった。
 食事の味というのも、決して値段に沿うわけではないな、とリョウは思う。今の彼の場合は、値段の問題ではなく、気分の問題だろうが。
 本当ならこんなジャンクフードを朝っぱらから食べるよりは、妹の作ってくれる食事の方が一万倍も美味しいに決まっている。なんの事情も無ければ。

 昨日一日で、自分は半年分の衝撃を一度に受けてしまっている。
 ユリが自分の名前を呟きながらオナニーしていたこと、そして、昨夜のあのキス。
 リョウはそれがなにを意味しているのか、分からないような年齢ではなかった。それがわかるくらいの経験は重ねているつもりでいる。
 妹が、自分のことを男として愛していた。それも、かなり熱烈に、そして、深刻に。

「…………………………」

 リョウは来客用の紙ナプキンを右手でくしゃくしゃにしながら、意識をあちこちに飛ばしている。
 妹の気持ちは受け止めてやりたかった。これは真実だが、果たして、兄として受け止めてやるべきなのか、それとも男として受け止めてやるべきなのか。
 ……いや、男として受け止めてやることができるのか。

「…………………………」

 リョウは水を大げさにあおって、大げさにため息をついた。

「……どうしろってんだよ」

 一人で呟いて、マスターに三杯目の水を要求する。マスターは、興味深げにリョウのパントマイムを見守っているが、口出しはしない。
 彼に口を出したのは、別の人間だった。

「ほう、珍しいところで珍しい顔を見るな」

 ふと、澄んだ声がリョウの鼓膜を震わせて、彼は視線を上に上げた。そこに、少年が立っていた。
 年の頃はリョウと同じくらいだろう。リョウよりもわずかに低い身長に、綺麗な金髪がのっている。
 リョウよりもわずかに華奢な体型だが、それはスマートというよりもソリッドな印象を与える細さだった。
 触れただけで斬られてしまいそうな、そんな空気を纏っている。
 リョウはこの少年のことを知っていた。いや、それどころか、何度か闘ったこともある。
 リョウは意識をこの世界に戻し、少年に言った。

「お前こそ珍しいじゃないか。今日はひとりなのか、キング?」

 キングと呼ばれた少年は、最近、この近辺を荒らし始めたグループのトップだった。誰彼かまわずケンカを売っては、誰彼かまわずチームに引き入れ、急激に勢力を伸ばしている。
 チームの内情は、よくいっても「烏合の衆」というレベルだが、トップのキングが圧倒的な強さで纏め上げており、奇妙な求心力を持ち始めていた。まだ新興のチームだが、このままの勢いで勢力を拡大していけば、いずれはどこかと衝突を起こすだろう。
 キングは、鋭い視線をリョウに落とし、口の端で笑った。

「いつもいつも腰ぎんちゃくを連れて歩くのも、意外に疲れるもんでな。たまにはお前みたいに、一匹狼を気取ってみるのも悪くない」

「一匹狼、ね」

 リョウはテーブルを右手の指で軽く叩いた。

「俺は裏町の覇権とか、そんなのに興味がないだけさ。群れを作って競う強さには興味がない」

「お前の価値観に文句をいう気はないがな。だが力がなければ、その自分の価値観を押し通すこともできないぞ、カラテマン。
 そして、最終的に力になるのは、結局は「数」さ」

 キングは勝手にリョウの対面に腰を降ろすと、慇懃に長い脚を組んだ。

「悩み事か? 前に戦ったときは、そんな迷いとは無縁の男だと思ったものだがな」

「お前が俺のことをどう評価しているのかは知らないが、俺がそれに従わなきゃならない義務はないな」

「怒るなよ、カラテマン。俺はお前を見直しているのさ。
 なにしろここは、自分の思うようにいかなければ暴れるしか能がないクズぞろいだ。
 わかるか? 俺が無能ぞろいのチームを纏めるのに、どのくらい苦労しているか」

「自分で引き込んでおいて、無能呼ばわりはひどいだろう」

「それが事実だからな。俺やお前のように、考えて考えて解決をはかろう、という概念がないのさ。
 腕力しか頼るものがないから、その腕力で解決できないことになればパニックに陥る。ネズミでももう少し頭を使うと思うがな」

「……………………。
 だが、いまお前のチームは、そんな連中で溢れてるんだろう?
 そうまでして数を集めて、何をやらかす気なんだ、キング」

「…………………………」

 三瞬ほどの空隙。キングは足を組みなおし、表情を入れ替えた。皮肉に満ち溢れた表情に、わずかに真剣みが加わった。

「お前が俺のチームに入るというなら、教えてやってもいい。いや、実際のところ、お前をぜひともスカウトしたいんだ」

「スカウト? 俺をか?」

「そうだ。いま俺に必要なのは、俺やお前のように「戦い」以外のことが考えられる人間だ。
 ある程度の強さがあり、考えて戦うことができる人間だ。ただのケンカマシーンは、所詮は雑兵にしかならない」

「…………………………」

 リョウは、大きく溜息をついた。

「どこかと抗争を起こすつもりなんだな」

 リョウの質問に、キングの表情が厳しくなる。男性としては「美しい」とさえいえる容姿を持つキングだが、このときの表情は「猛々しい美しさ」とすらいえるような獰猛さを秘めていた。
 キングは沈黙した。この沈黙こそが、肯定の証だった。リョウは、首を横に振る。

「悪いが、そういう話ならほかでやってくれ。
 俺が戦う理由は、一つだけだ。それも、自分以外のことだ。
 さっきも言ったが、群れて競う強さに興味はない」

「…………………………。
 なら、ただで帰すわけにはいかない、と言ったら?」

 キングの口調に棘が含まれた。低い声だったが、この一言だけでリョウにある種の覚悟を決めさせるような、凄みを含んだ声だった。
 だがリョウは、気おされることはない。キングの凄みを受け止めて、応えた。

「お前が俺の生活をかき乱すなら、全力で叩き潰す。それ以外のことに感知する気はない」

 言って、キングを睨みつける。剣呑なにらみ合いが、一分ほど続いた。長引けば、このまま店の中で闘いに発展してしまいそうな、そんな空気だった。
 だが、その空気を嫌ったのはキングだった。彼は、再び口の端で笑った。

日本人イエローは生真面目な人種だと聞くが、頭の固さも一級品だな。
 前言は撤回しよう、信念と言えば聞こえはいいが、組織においては害にもなるからな」

 正確には、リョウは純粋な日本人ではないが、キングにはどうでもいいことのようだった。いいたいことを言って、リョウの頼んだ水を勝手に煽り、キングは立ち上がった。

「誰かのために戦うのは結構だが、本当に護りたいものならこんなところをひとりでうろついていないで、鎖でもつけて閉じ込めておくか、力ずくでも側においておくんだな。
 それくらいしておかないと、それはむしろ、お前の弱点にしかならないだろうよ、カラテマン」

「力ずく……」

 何かの反論を期待していたのだが、リョウが意外に考え込んでしまったので、キングは拍子抜けしてしまったようだ。先ほどまでの棘が、表情から抜けてしまった。

「本気にとるな、鬱陶しい」

 毒気を抜かれてしまったキングは、呆れたような表情を見せると、リョウに背を向けた。
 我に返ったリョウが声をかけようとしたが、それよりも先に、キングが言った。

「俺の抗争の相手はな、ここらで最大のチンピラグループ、あのブラックキャッツさ」

「ブラックキャッツ!? あのジャック・ターナーのチームか?」

 リョウの「あの」と言う言葉に、畏怖の要素が多く含まれていることに、キングは気づいた。

「そう、あの「自称」熊殺しの不潔野郎さ」

「……ずいぶんと危険な橋だ。なぜ、望んで危険な橋を渡る?」

 吐き出すようなリョウの声に、キングは厳しい視線を向けた。

「男が望むものは、自らの力で奪い取るしかない。当たり前のことじゃないか。
 奪い取ったものの大きさが、そのままその男の器量の大きさだ。お前ほど強い男が、分からないわけがないだろう。
 抗争だろうが、平和だろうが、奪い取らなければ、自らの懐には転がってはこないぞ。
 誰にも彼にも、いつまでもお人よしの正義論が通用すると思うなよ、リョウ・サカザキ」

 冷徹な視線で冷徹なことを言い放ち、キングはリョウの前から立ち去った。残されたリョウは、しばらく呆然とし、そして考え込んだ。

「大切なものは護るんじゃなく、奪い取って自分の懐にしまっておけと言うのか?
 俺に、ユリをそうしろとでも言うのかよ……」

 リョウの額に、一筋の汗が浮かんでいた。