朝の七時、いつもなら朝食の準備の前に、香澄とユリがリョウに抱かれている時間なのだが、この日は状況が違った。

 一週間前、とある名士の懇談会において、リョウ・サカザキに講演の依頼があったのだ。

 今更だが、サカザキ家はブランクがあるにせよ20年もこの街に道場を構え、極限流開祖タクマ、及び現総帥リョウともに、サウスタウンの表裏に影響を与えた「名士」なのである。……本当に。

 特にリョウは、テリー・ボガードと並ぶサウスタウンの英雄として知られていて、実を言うと、講演その他の依頼は結構な数あるのである。しかし、父のタクマがそうであったように、リョウも自分や家族がこれ以上のトラブルに巻き込まれることを防ぐため、積極的に表に顔を出すような依頼は受けなかった。もっとも、裏にはリョウが格式ばった儀礼が苦手であることや、ユリがリョウを独占できる時間を奪われることを嫌がった、というほんのささやかな理由もある。

 だが、今回の依頼はそういうわけにもいかなかった。依頼主がサウスタウンの治外法権区域チャイナタウンの支配者であり、サウスタウン自体にも隠然たる力を持った男、リー・ガクスウだったからだ。

 サカザキ家とチャイナタウンの結びつきは強く、30年前、タクマ・サカザキと中国拳法の達人リー・ガクスウが文字通りの死闘を演じ、15年前にタクマが一家を連れてサウスタウンに再び渡って以来、家族ぐるみの付き合いがある。リョウとユリが過ごした極貧の幼少時代に、チャイナタウンに匿われていた時期もあるのだ。

 そういった恩もあり、あまり積極的でないにせよ、リョウはこの講演依頼を受けた。受けたからには、いかに知った仲とはいえ、正装はしなければならない。いつものTシャツや胴衣姿などもっての他である。

 しかし、ただ正装するだけでも大騒ぎになるのは、サカザキ家の通例だった。


Act.2-4 Change of Standard [2]
KEEF


「こら、ユリ、笑うな!」

 リョウはし慣れないネクタイを締めながら、ソファの上で笑い転げる妹を睨み付けた。

「だってぇ〜」

 ユリはソファの上でむっくりと起き上がると、一度は顔を引き締めてみたものの、兄の顔を見てから再び笑い始めた。

「なんて失礼なヤツだ」

 リョウはぶつぶつ言いながら、鏡に向かってネクタイの角度を確かめながら、

「香澄、お前からもあの馬鹿になんか言ってやってくれ」

 と、自分の背後に立っている香澄に声をかけた。香澄はリョウのコーディネイトにあわせて、彼の髪に櫛を入れていた。もっとも、身長差が25cmもあるため、椅子を持ってきてその上に立っていたのだが。

 しかし。

 リョウが鏡越しに背後の香澄を見ると、心なしが手に持つ櫛が震えている。そして、明らかに香澄の表情が不自然だった。どう見ても笑いを我慢しているようにしか見えなかった。

 それもどうやら限界に達したようで、リョウの背後で「ぷっ」と、ついに笑いがこぼれてしまった。香澄は申し訳なさそうに振り向くと、肩を震わせて椅子の上にしゃがみこんで、含み笑いを爆発させてしまった。

「こら香澄! 原因のお前が笑ってどうする!」

 リョウが怒り心頭で、がばっと振り向く。それを見たユリと香澄が、今まで以上に腹を抱えて笑い出した。

 リョウの髪は、完璧に七三に分けられ、適度にてかてかと光っていたのである。


 最初、香澄も真面目に櫛を入れていたのだが、スーツ姿のリョウがあまりに珍しいため、どういう風にセットしていいか迷っているうちに、思いっきりオールバックにしてしまったのである。

 それが少しだけ面白く、またユリが脇でうけていたので、次第に暴走していってしまった。オールバックからソフトモヒカン、オールフロント、真ん中わけに最後に七三。

 普段のぼさぼさ頭に見慣れていた二人は、それらの髪型+スーツという組み合わせが意外かつ珍妙過ぎて、笑わずにはいられなかったのである。

 しかも、

「お兄ちゃん、七三なら眼鏡かけなきゃ、眼鏡!」

「なんか、まともなサラリーマンですねぇ」

 と、涙を流しながら茶々を入れる始末だった。

「…………………………!」

 リョウはため息をつきながら頭をぐしゃぐしゃとかきまわす。ぴっちりとセットされた七三は、いつも通りのぼさぼさ頭に戻ってしまった。

「あ〜」

 ユリが残念そうに、かつ不満そうな目をリョウに向ける。香澄も残念そうな表情をしたが、リョウに冷めた目を向けられて、びくっと体を震わせた。

 リョウは鏡のついていたクローゼットからスーツを包むクリーニング用の袋を取り出すと、まだ自分の背後の椅子に座っていた香澄の手を強引にとって、ずかずかとソファに腰を落とした。

「え? あ、あの」

 香澄はなにか言おうとしたが、何も言わないリョウが密かに怒っていることがわかったので、おいそれと声をかけられなかった。目の前のソファに座ったままのユリも固唾を呑んで見守っている。

 リョウは膝の上に袋を置いて、スーツズボンが汚れないようにすると、香澄の首を掴んで自分の膝の上に持ってきた。

「きゃん!」

 香澄は猫のような声を上げると、猫のように手足を丸めてリョウの膝の上にちょこんと収まってしまった。抵抗しようにも、首根っこを押えられているので、動きようもない。

「さて、悪戯っ子には御仕置きが必要だな」

 リョウの押えられてはいるが、怒りを含んだ声に、香澄はごくっと咽喉を鳴らした。香澄にとってリョウの怒りは、支配者のそれに等しい。首を押えられていなくても、体は収縮して動きそうもなかった。

 リョウは器用な手つきで香澄のミニスカートを捲り上げる。いつも通り下着を着けていない白いヒップが、晒される。

「あ、あの、ごめんな……」

 ぱぁん!

 香澄の言葉が口から出る前に、リョウの張り手が香澄の尻を捉えた。

「ひぐぅ!」

 痛みが猛スピードで神経から脳に届き、香澄の口からくぐもった悲鳴が漏れた。真っ白な肌に、赤い手の跡が綺麗についたが、リョウは間髪を置かずに二発目、三発目を立て続けに放つ。

「ひぃっ! ご、ごめんなさ、あう! 痛っ!」

 香澄の声は最初、それこそ悲鳴以外の何者でもなかった。しかし、張り手が十発目を越えたあたりで、リョウは一度手を止めた。声には現れていない、香澄の変化を鋭く嗅ぎ取っていた。

 香澄はリョウの手が止まったので、これで許してもらえるのかと思ったのか、うっすらと涙の浮かんだ目でリョウを振り返った。しかし、リョウの行動が止まったのはそうではなかったらしい。

 リョウの手が、いきなり香澄の股間に滑り込んで、クレバスの上を焦らすように舐めた。香澄が軽く身体を痙攣させて、反応する。そして暫く撫で回した後で、リョウはその指を放した。リョウの指がどういう状況になっているのか、本人である香澄が一番わかっていたのだが。

 リョウの指が、香澄の目前に示された。その指は、香澄自身の愛液でぐっしょりと濡れていた。

「香澄、感じていたのだな?」

 口調だけは優しいリョウの詰問に、香澄は素直に頷いた。自分は痛いのにも関わらず、秘所はじんじんと熱くなっていくのを自分で理解したのは、六発目を食らったあたりからだった。それがどうしてか、香澄には全くわからなかった。しかし、事実として、香澄の体はそういう風に反応し、そして九発目の張り手で、絶頂に達してしまったのだ。

 昨晩の香澄とユリの告白もあったが、リョウ自身もこの二ヶ月間、香澄を抱いていて、彼女の性癖とでも呼ぶべきものを、ほぼ正確に洞察している。香澄は強引に責められることに敏感だったが、特に「辱め」を与えられることに対しては、心はともかく、身体は非常に敏感に反応した。それなら、「痛み」に対してはどうなのか。それは、いつか知りたいと思っていた。

 今日の事態は全くの想定外だったのだが、結果としてリョウの想像通りの反応を、香澄は示したのだった。

 リョウは香澄の表情を見てから、再びお仕置きを再開した。今度は、先ほどまでよりも幾分力を入れている。しかし、完全に自覚してしまった香澄の反応は予想以上で、その喘ぎ声はセックスをしている時となんらかわらない激しいものだった。

 そして最後の20発目の時。

 香澄がついに声を上げた。

「あああっ! イクッ、イキますぅっ!」

 思いっきり叫んで、激しく身体を激しく痙攣させた香澄は、顔と尻を真っ赤にして、リョウの膝の上で完全に意識を失ってしまっていた。香澄の足を伝って、リョウの膝にも彼女の愛液が大量に零れ落ちた。

「やれやれ、シートをしてて正解だったな」

 リョウは香澄をそのままソファに寝かせると、自分は膝の上にしていたクリーニング用の袋を、脇に投げ落とした。誰がどう見てもシートでないこれをそう言い切るのは、多分リョウだけだと思われた。

 リョウが立ち上がって背伸びをすると、目の前に座っていたユリが、目を皿のようにしたまま自分の兄を見上げていた。恐らく、いきなり始まって唐突に終わったお仕置きショーに、唖然としたまま見ていたのだろう。

「そういえば、お前も笑ってたな、ユリ?」

 リョウが凄むように言うと、自分にはその気があるとは自覚していても、いきなり痛いことをされたいとは絶対に思わないユリは、凄い勢いで首を横に振った。

「あ、あたしは結構です……」

「心配するな、もう出なきゃならん時間だし、直接のお仕置きはしないよ」

 言われて、ユリは心底安心したようにため息をついた。香澄も怒らせると怖いが、やっぱり一番怖いのはこの人だ。

 しかし。

 そのユリの安心も、たった10秒後に無残にも打ち砕かれた。

「おまえも香澄も、一週間Hなしだ。オナニーも禁止。いいな、香澄が起きたら言っといてくれよ」

 言われた瞬間、ユリの背後に「が〜ん」とエフェクトつきで雷でも落ちたようなショックを、ユリは受けてしまった。

「え〜! そんな、冗談でしょ!?」

「冗談も瓢箪もない!」

「ほ、本気!?」

「大本気!」

 泣き出しそうなユリの質問に、リョウは力強く首を縦に振る。

「たまにはいい薬だ。お前、香澄が着たばかりの頃に、一週間我慢したことあったろうが。お仕置きなんだから、同じ日数ぐらい我慢しろ」

「あの時は香澄がそれどころじゃなくて、状況が違うよ! って、話を聞け〜!」

 ユリの絶叫を背中に聞きながら、リョウは背広の上着を身に着けて、足早にリビングを出て行ってしまった。


 結局その日、朝から出ているリョウに変わってユリが道場を見ることになったのだが、門下生たちはなぜかぶっす〜としたままのユリに恐れ戦きながら訓練に汗を流す羽目になってしまった。