「あ〜〜〜〜〜……」

 午後十一時。
 その日にやるべきことを全て終え、ユリは自室のベッドにその身を投げ出す。

「……疲れた……」

 言葉以上に疲労を湛えた目を閉じ、ユリは枕を抱きしめる。

 確かに、ここ数日は忙しい。
 けれども、それはいつものことで、普段ならば飄々として過ごせるはずの日々である。
 ……が、確かにユリはここ数日、疲労していた。

 理由は、簡単。
 以前はあった習慣が、ここのところないからだ。

 リョウにHもオナニーも禁止されてから六日目。
 そろそろ、ストレスがピークに到達するころだった。


Act.2-5 Change of Standard [3]
KEEF


 ユリは、原因が自分にあることも、自分が悪いことも解っている。真面目に仕事と義務をこなそうとする兄をからかい半分に笑ったのだから、リョウが怒るのも当然だ。

『だけど……』

 ……一週間はキツイ。
 最初は、口ではどうこう言いながらも、軽く流せると思っていた。
 だけど、身体に染み付いた習慣というのか、それがなくなると、実際は思った以上に辛かった。

『甘かった……』

 と、ユリは自分でも思う。
 ユリがリョウに求めるセックスが、ただ単に快感を求めるだけのものだったら、こんなにキツくはなかったろう。
 だけど、ユリが兄に求めたのは、最初からそれだけじゃなかった。毎日、彼から愛されているという証明が欲しくて、ユリは兄を求めていたのだ。

 毎日、会話もあるし、笑顔もある。だけど、一つだけ足りない。
 どんなに笑顔があり、会話があっても、ユリがリョウに愛されている、そして必要とされているという証明が、この数日無い。
 それだけのことが、ユリの心にとんでもない不安を齎す。
 リョウがユリを嫌っているはずが無い。そんなことは、ありえない。解っている。
 解っている。

 だけど、不安なのだ。
 何か用があってリョウが外出するたびに、ユリは心が軋むような痛みを覚える。
 もしかしたら、このまま兄は帰ってこないのではないか。いつぞやの父や母のように、自分の前から居なくなってしまうのではないか。
 それは、幼いころからユリの心を蝕み続けた不安。
 もちろん、兄は毎日帰ってきた。ストリート・ファイトで傷だらけになっても、バイクに乗って買い物に出ても、リョウは毎日ユリの元へ帰ってきた。
 解っているのだ。

 ユリは、自分のために命をかけてくれる兄のために何かをしたくて、自分の身体を差し出した。
 普通は、そんなことを考えないだろう。兄妹なのに、そんなことをしないだろう。
 だけど、命をかけてくれるリョウに見合うものは、自分の身体しかないと、当時のユリは思っていた。実際、他のものをユリは何も持っていなかった。

 兄は、最初は戸惑っていたようだった。しかし、段々と試合で出した自分の闘気をコントロールできないようになると、それをユリの身体で発散させるかのように、彼女を求めた。
 いつしか、ユリにとって、それが喜びになった。自分にも、命をかけて闘い続けるリョウのために出来ることがあるのだと知った。
 もっと。もっとリョウのモノになれるように。ユリにとって、それが何らかの「証」になっていったのである。


『……………………………………』

 古いことを思い出して、ユリは寝返りをうつ。
 大げさだ、と、自分でも思う。今回のことは、やってはいけないことをやった、自分への罰。ただ、それだけ。リョウがいなくなるはずも無い。
 解っている。
 だけど。
 罰を食らってからこっち、小さな不安がユリの心に常にまろびた。
 リョウを思って自慰でもできれば、それも少しは解消できたかもしれない。自分の部屋でそれをやっても、リョウにはわからないと思う。
 だけど、できない。
 少しでもそう思うと、すぐにリョウの言葉がそれを反射した。

『オナニー禁止!』

 そのたびに、ユリの身体は軋んで止まった。
 解消されない小さな不安が、ユリの疲労を倍化させていた。


 結局、今回のことでユリが解ったのは、自分がいくら強くなっても、こんなにも兄を必要としていること。そして、リョウから愛されているという直接的な証拠がないと、毎日の生活すら不安で仕方が無い、ということ。
 要は、あの幼く不安に慄く生活を送っていたときと、自分は何も変わっていない。
 たった、それだけ。


 だけど、それも今夜で終わる。
 今日が約束の七日目。明日から、また以前の生活に戻れるのだ。
 ユリは、予想する。
 明日、先陣を切るのはたぶん香澄だ。
 香澄は、慣れない外国での生活でたまるストレスを、リョウに抱かれること、リョウに従属することで発散させてきた。それが出来なかった分、疲労はユリよりも深く、大きい。

 そう思うと、なんだか可笑しくなる。
 香澄は、まだ打倒極限流を諦めていない。昼間、道場にいるときは、リョウやユリの動作や技を熱心に研究し、何度も手合わせをする。
 でも、道場にいない時は、昼間とは違う意味でリョウにべったりだ。日数的な密度で考えるなら、リョウへの依存度は、ユリよりも遥かに高いのは間違いないのだ。


 この一週間で思い出したことがあり、気付いたことがある。それらは、明日からの生活をちょっとだけ変えていくだろう。
 ユリは、しっかりと眠ることにした。
 明日のために体力と気力を回復させておかないといけない。
 自分と香澄と、そしてなにより、彼女らの愛するリョウのために。